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アメッド&サヌール2014(??) 総括

この、美しい眼差し。(アンラプラにて)
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春節の台湾旅行記(2015年2月に旅行)を遡って、2013年12月にクラビ旅行記の後、
2014年9月、バリはアメッド&サヌールに旅行した。そうだ、多分、そうだったんだ(笑)
使用航空会社は、以前にもチラリと書いた「中国南方航空」だ。これは絶対に忘れん。
アメッドは日本女性が経営する「アクアテラス」といかにもバリ、な「バリドリームハウス」。
意識的に日本人経営は避けてきたが、以前、アメッドの宿を調べていた折に見つけた、
アクアテラスからの景色に一目惚れして、なんとしてもどうしても泊まりたくなったのだ。
なのに、私が有休を言い出せない数日の間にアクアテラスは満室になり、
やむを得ず宿替えで「バリドリームハウス」に泊まったんだ。
両方、良い宿だった。あの日々を思い出すと、人生の一番良い時が終わってしまった気分になる(笑)
(シキガチカインジャアルマイカ)
アクアテラスは高台から海を俯瞰し、丸い、青い地球を体感した。
バリドリームハウスはオン・ザ・ビーチ、プール越しに海を眺めつつ潮騒に包まれた・・・、
と言えば聞こえはいいが、小石の浜なので、波の音は案外すさまじい(笑)
「田舎の音」が苦手な方には、恐怖レベルかも。

塩田からアグン山を臨む。(アメッドにて)
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アクアテラスを通してバイクを借り、アグン山の裾野を随分、動き回った。
ずっと行きたかった「タマンウジュン」や「ティルタガンガ」、そしてもはや、
地図に印を付けることは到底不可能な、ローカルさんだけの湧水プール。
ここ、また行きたいんだけどなぁ、アンラプラからどの道に入ったんだろう・・・。
モチロン、ティルタガンガでも泳いできましたよ。
遺跡というにはまだ新しいけれど、苔むした建造物が沈む「遺跡プール」は
外国人オンリー的に、少しお高い。
ローカルさん達は、その遺跡プールの下に位置する小さめのプールで泳いでいる。
私たちは「遺跡プール」の高い料金を払ったので、ローカルさん用プールにも入れる。
端っこにゴミが沈んでて、そこは不愉快だが、砂地のままのプールの底から、
ぼこぼこぼこぼこ、水が湧いている。
すげーーーな。日本じゃ湧水池に入れるなんて考えられないもの。
よくぞ聖地に揚げ奉られなかったものだ。

大海に漕ぎ出でよ。(アメッドはアクアテラスにて)
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そして、シュノーケリング。
波が高くて濁ってしまった日もあったけど、湾内にあるシュノーケリングスポットは、
お魚と一緒にゆらゆらのんびり楽しめた。
珊瑚は残念ながら、海水温上昇による世界的被害を免れることは難しいようだけど・・・。

乾季。葉を落とす季節に丹精された花は、風に揺れる。(サヌールはタンジュンサリィにて。)
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そして、どこよりも気に入っているタンジュンサリィに泊まった。
退屈な昼寝が似合うサヌールの、その夢を甘やかにあやすホテル。
再開発され、変化が余儀なくされたサヌール同様、少し、ほんの僅かに変化した。
多分、10年という長い時を経て滞在した人間にしか気付かない、ほんの僅か、
でも、異質さを伴う変化、サヌールの変遷同様に。
私が以前に滞在した頃でさえ既に引退間近に見えた、名物老フロントマンは既に引退し、
「まだ至りませんが努力します」と言う男性スタッフは、まさに襲名といった面持ちだった。
シーサイドレストランの若いスタッフは、礼儀正しいなりにとても人なつこく、
真っ黒に日焼けしたガーデンスタッフが、はにかみながら「パギィ」と挨拶する。
その心地よさは変わらない、でも、訪れるたびにバリは変化し続け、
自分でもうんざりする感傷からは逃れようがない。
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ええ、また来ますとも、君たちに会いに。(アメッドにて)
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[ 2016/03/29 ]   情景・バリ | TB(0) | CM(2)

南国の酔夢

明日に根を張るマングローブ。@スランガン島(亀島)
スランガン島(亀島)のマングローブ。
思い起こせば4年前、FIFA・W杯南アフリカ大会はバリで観たんだった。
Jリーグなんか夢のまた夢、欧州や南米のサッカーを深夜テレビにかじりついて観ていた、
そんな頃を思い出すような光景が、バリでは見られた。
木枠だけのゴールポストに向かって、子供やいい年の大人が荒れ地でボールを蹴り合う。
(田舎では、その間を牛が横切ったりもする。)
南部の街では、軒先に強豪国の大きな国旗を掲げて、贔屓の度合いを競っている。
そんな彼らは、新参者の日本なんて鼻にもかけない。
アジアサッカーなんてド下手で弱っちくて、退屈、と。ナマイキ。
まぁね。
何せ、観戦眼だけは南米や欧州の強豪国で鍛えられているのだ、あの頃の私たちのように。
だから、サヌールのスポーツバーで観た日本初戦、対カメルーンはアウェイだった、
と言ってもよい。
店内には、先に初戦を制して意気揚々のオランダ人達がいたし
路上から店内の大画面に声援を送る野次馬たちは、もちろんカメルーンを応援していた。
私たちも含め日本人の集団は、ちょっと緊張しながら静かに見守っていたが、
緊迫した試合の展開とともに、店内・路上からは、大きなため息や声援が聞こえだした。
そして、本田のゴールでは大歓声(と、大悲鳴)。
どんなもんだい!
自分たちの勝利に酔いしれるだけだったオランダ人のオヤジ(半端ないビール量)は、
「日本、やるな!オランダ戦は、こうはいかないぞ!」と、真剣に肩をドツクし、
翌日、ホテルスタッフが「本田は素晴らしかった!」と褒めてくれるし、
自分がピッチを走り回ったわけでもないくせに、バリの日本人は大いに面目を施したのだ。
W杯シーズンに日程を組んだ上、TVのないホテルを予約し、と、
痛恨のミスを重ねた旅行だったが、色んな国の人たちと見るW杯は十分に楽しかった。
今夏、旅程を組むに当たって、シーズン中にあえて行こうか、
そう考えるくらいには、楽しかったのだ。

・・・・・・・・・・・・・、よかった、行かなくて(笑)

明けきらぬ闇に、鮮やかな色が朝を運ぶ。@サヌール、シンドゥ市場
明けきらぬ未明、ひときわ鮮やかなお菓子売り場。
まぁ、アレよ、少なくとも日本は強くなるチャンスを一つは得たワケよ。
いいやん。
立ったり座ったり、悲鳴も出ずに拳を振り上げて、そんな風に観てるの疲れるもん。
すごいなーうまいなーっ、ぉおお、やたーっ!!て観てるだけの試合って、楽しいもん。
(´;ω;`)ウゥゥ

私は今、のびのびとW杯を楽しむことが出来るようになりましたので、
やっと、更新再開の余裕も持てました、そのご挨拶まで。
m(__)m
酔夢をゆるりと拭う、露の匂い。 酔夢をゆるりと拭う、枝に宿る露。

って、ことで、懐かしの2010年サヌール写真を載せてみました。
引き続き、クラビ旅行記ですが、宜しくお願いいたします、本編は始まってないし(笑)
[ 2014/07/03 ]   情景・バリ | TB(0) | CM(6)

バリ旅行最終日と感謝感謝^-^

ミンピリゾートのガーデンプール。昼下がりには猿の軍団が遊びに来る。
ミンピリゾートのガーデンプール
こんな風にして、2012年7月のバリ旅行は終わった。
パラサリから車の多い西側を下り、クタエリアのカルフールに到着したのは19時頃だった。
バリ最後の食事は、カルフールのフードコート。私はミークワ(ラーメン)を食べた。
野菜湯麺よろしくアッサリスープ、お疲れ気味の胃腸にも食べやすくて美味しかった。
バリスイーツの屋台風店舗で、クレポン(ココナツ団子)も買った。
市場で買う物より、パンダン(風味付けの葉)の香りがほとんど無い(笑)ので食べやすい。
ングラライ空港ではラウンジには入らず、久しぶりに免税店を見て歩いた。
  まるでエグゼクティブユーザーの如き台詞ですが、バリの空港では1000円程度で、           庶民もラウンジ利用が可能。新空港でも、その福祉制度(笑)は活きてますかね。
ニャンコの食器用トレーがツボ。次回は、それも計算して荷物を作ろう(笑)
バリ猫が描かれた竹風鈴も欲しかった。友人にもよいお土産になったろうに。
飛行機に乗り込む頃には、バリ旅行は最後かも知れない、いつもそう思う。
行きたくなるのは解りきっているのに、バリは最後、なぜかそう思ってしまうのだ。

バリ最後のお食事、ミークワ。なんでお醤油があるんだろう??
ミークワ。なぜ、お醤油があるんだろう・・・。
2012年のバリ旅行記にも、長々とお付き合いいただき、本当に有難うございました。
もぉ、書くことはないぞってくらい、微にいり細にいり書きました。
お付き合い下さった方々は、同じ様な内容の繰り返しでごめんなさい。
ミンピリゾートの検索でお越し下さった方には、ガイドブックにも載っていない、
てか、載せる内容が「本当にないんだな」とご理解頂けたかと思います(笑)
にも関わらず、読んで下さった方、更新するたび寄って下さる方、ばかりか
コメントを下さる方、拍手も下さる方、本当に皆さまの温かいお心に感謝するばかりです。
心からお礼を申し上げます、Terima kasih banyak!(^人^)

バリパラダイスホテルの門と海へと続く道。
バリパラダイスホテルの門と、海へと続く道。
7月に10日前後の旅行に行くことが多かったのですが、今年はタイだ!
と、思いついたので、12月(行きたい所の乾季が12月)に出掛けます。
早々と手配を済ませたもんで、逆に、旅モードが過ぎてしまった感が満杯です^^;;
しかも、ひたすらバリ旅行記を書いていたので、とってもバリが恋しい今日この頃。
ああ・・・、バリに行きたい、ロビナの田んぼやバニュウェダンのデカイ太陽や、
ラダちゃんや愛國の花のお父さんの笑顔が恋しい。バリに行きた~~いっ!!

ミンピリゾートムンジャンガン敷地内の源泉。
ミンピリゾートの源泉
さあってと!着付けの稽古も本腰いれにゃならん(日頃からマメにせぇよ)し、
やっと片付けた夏物を、またまた引っ張りだして荷造りせなアカンし、あ!年賀状もや!!
てなことで、本人は早々にブログうを留守しますが、今週末くらいまで書き逃げ更新を致します。
物は試しだ、ヒマな時にはちょいと寄ってみな 6( ̄∇ ̄;)チョット、オコラレルナイヨウカモ・・・
奇特なお方は、お目にとまった記事に拍手でも、コメントまで残して下されば、もっと御奇特!!
皆さまへのお礼とお返事は、帰国してからの楽しみとさせて頂きますm(_)m
セガラアグンの庭。 とある日、セガラアグンの庭にて。

本当に、終わりました。バリ旅行記の過去記事一覧は、コチラです。
[ 2013/12/11 ]   情景・バリ | TB(0) | CM(6)

猫又的チップ応用編と風邪薬の効用について

おばあちゃんの作った駕籠を、市場で売ります。
おばあちゃんの作った籠を、市場で売ります。
ロビナから引き摺っていた不調が、ついにシュノーケリングの翌日、
本格的な風邪の症状として出て来た、しかも発熱を伴って。
バファリンは飲んだが、風邪の怠さは引かない。
まず、パチリ。 まず、パチリ。
薬屋さんはどこ?と、フロントで聞いたが、知らないという。
市場に行けばあるだろうか、と、ベモで市場まで出掛けたが、やはりない。
市場にいたおっちゃん達に、薬屋はどこ?と尋ねたが、おっちゃん達も知らないと言う・・。
バリ人にとって薬とは高価なモノで、日頃、縁がないんだろうか?
ぼくもぼくも。 ぼくもぼくも。
プムトゥラン方向に大きなお店があったから聞いてみようと、さらに遠出を重ねる私・・・。
ベモに乗って、薬屋さんはどこ?と聞いたら、運転手が知ってるーっと嬉しそうなので
ああ、ヤレヤレ・・・と座り込んだら・・・、あれれ?また、ずいぶん遠くまで行くやン?
ドライバーはシリリッまで、私達を連れて行こうとしていた・・・、それは遠すぎる。
もうシンドイ、もういい、と降りたが、今度はミンピ方向のベモが来ない。
トボトボ歩きながら、私は旅行自体を後悔するような気分、そのくらいにシンドかった。
お姉ちゃんも出てきて、「お行儀よく。」 お姉ちゃんに叱られて、行儀良く。
結局、手ぶらでミンピに帰り、違うフロントマンにもう一度、薬屋はどこ?と聞いた。
医者を呼ぶか? 薬でいい。 よし、友人に買いに行かせるから。
は~~、やれやれ、ベッドにたどりつくのがやっと、倒れ伏してしまった。
30分ほどで、ボーイさんが「よく効くよ~」と、風邪薬を持ってきてくれた。
ありがと~~T▽T 薬代はRP35000(350円)。お釣りはチップとした、が、さて。

おかえりなさ~い。
はい、お帰りなさい^-^
私はRP5万、RP10万のお札を用意しており、薬代に関わらず、それを渡すつもりだった。
涙が出るほど有り難かった割に、150円のチップは安過ぎないか??
さらに追加して渡せば良かったんだが、私は財布をしまい込んでいた・・・・・・。
う゛~~~~~~~ん、チップに最適なシーンでありながら、どうにもこうにも悩ましい。
もっとも、金額の多寡に関わらず、みんなとても嬉しそうにお礼を言ってくれる。
渡すつもりでも、す~~~っといなくなってしまうので、チップ不要?とまで思う。
私達は今回の旅で、ホテルスタッフや村人に、拾ってもらうことが再々あった。
そんな場合、ホテルスタッフでさえ、絶対にお金を受け取らない。
ガソリン代だから、って言っても、ブンブン手を振り固辞する。
有り難いやら嬉しいやら、だが、ここでまた「チップ」というものに考え込んでしまう。
日本同様、親切な行為に「お金」は失礼なのか?と。

熱、のど、鼻に効くらしい。
熱、のど、鼻に効くらしい。美味しくないよ(笑)
さて、バリ風邪薬だが、日本では考えられないほどよく効いた。効き過ぎてヤバイ!?
フロントスタッフも、症状改善したら飲むのを止めろて言ってたしなー。
でも、今後は即!現地の薬に頼ろう。下痢の薬も買って備えるぞ!
あと、この顛末の収穫がもう一つ。
現地の方が利用する長距離バスがあるんですが、アレ、ベモ使いが出来るのね。
バニュウェダン方面に行くベモが全然なくって、帰れないんじゃ?と半泣きで、
長距離バスを停めたら乗せてくれた。
ベモと同じ料金、Rp10000で。しかも、冷房付だし。いいじゃん、これ。
ネットで予約できたら長距離移動が楽ちんだー、と、走り去るバスを慌てて撮ったが、
ピンぼけでURLはサッパリ不明。(ベモや宅配車になるので、所要時間はかかる。)
にしても、バニュウェダンのどこに薬屋はあったんだろう?それは不明のままだなぁ。

通学時、女の子達はキチンと髪を結う。(そして、必ず髪飾りをつけててカワイイ^-^)
バリの女の子たちは、きちんと髪を結って学校に行く。
本当に、やっと終わるバリ旅行記の過去記事一覧は、コチラです。
※ ちゃんと薬は持参していた。が、ツレが喉が痛いと言うので全部、飲ませてしまった。
  なのに、ヤツは(略)・・・・・・(ノ`△´)ノ ┫:・’∵:.┻┻:・’.:∵
[ 2013/12/01 ]   情景・バリ | TB(0) | CM(12)

猫又的バリのチップ事情

深閑とした黒砂の浜、好きな景色だ。ロビナにて。
ロビナの黒砂の海岸
バリで大いに悩むのが、チップ、だ。
これがいっそ、アメリカのようにチップ前提であれば、込みの料金で考えることが出来る。
(行ったことがないけど。)
悩むのは、観光化に伴いチップ文化が流入した、という地域。東南アジアだ。
そもそも、チップはヤッパリ必要なのか?
「何か手を煩わしたときに、お礼として」とモノの本には書かれているけれど、
手を煩わすって?だって、道や店を教えるのはフロントの仕事じゃないの?
そもそも荷物を運ぶのはポーターの仕事で、部屋の掃除はお掃除係の仕事でしょ?
それにガイドや運転手には対価を支払っているはず、なのに、チップ
100円がそもそも大の大人に渡しづらい金額で、かといって、500円も渡したくない(笑)
そんなアレコレを考えると、もういい、自分でやるからほっといての気分になる。
かといって払わないか、と言えば、そんなことはない、やっぱり渡すようにはしている。
だけど、そのタイミング、その多寡はやはり大いに悩ましい。

サヌールの凧揚げフェスティバル。クールなグループ(笑)
凧揚げフェスティバルにて。クールなグループだった(笑)
日本人旅行業者の本音部分を読むと、やはり今のバリに於いてはチップは不可欠らしい、
元々、お駄賃のような風習はあったそうだし。
けれど、ケースバイケースの「この時は要る要らない」が、どうも解らない。
手を煩わせたホテルレストランで、ルームチャージなのにどーすればいいの?
「朝食は好きな場所で」てのが前提の場合、部屋や庭に持ってきてもらったら?
辺鄙なホテルのフリー送迎、これもやっぱりチップはいる?
そんな場合、チップ文化の方々は如何に?と、観察するがよく解らない。
ただ、渡すときには握手をしている、とは気が付いた。
お財布を出して、はヤボ、となると、常に!小銭をポッケに用意しとくワケだ。
って、女はポケットのない服だってあるから、ツレが一緒ならヤツに出さすんだが・・・。
例えばマッサージ。身支度してる間に施術師はいなくなるし、それなら、
終わってすぐ、裸んぼで手提げからチップを出すのか?
それとも、マッサージの間中、手に握りしめておく? ……、それはイヤやろ。
そんな不器用な貴方のために、「チップ箱」を設けているお店もあるからご安心を(笑)

お祈りでバリの1日が始まる。サヌールにて。
朝のお祈り。ホテルセガラアグン近くのお宅にて。
いずれ、チップ込みの金額を正規料金と考えるならば、決して物価は安いとはいえない。
逆に、高サービスが附帯する日本の物価が高い、とも言えないんじゃないか?
日本人のチップ下手というのも、実のところ、目には見えない「商品」を提供して「なんぼ」、
そんな問屋商売的労働が当たり前なせいかもしれない。
東南アジアにおいて、日本人がチップ相場をつり上げている、ってのは昔のハナシで、
今や、日本人はチップをくれない、が定評らしい。
・・・、にしても、チップ習慣がない文化に、自分たちの文化を持込んだ欧米人達を
恨むのは私だけだろうか。
しかし、ロビナでもミンピでもあの長い長い暑い道を歩いて、洗濯物を取りに行くとき、
チップを払うから届けてくれぇぇぇえええ、とは、思っていた。
じゃあ、ホテルのランドリーサービスを使えよ。てのは、ナシで。
このお供えはウチのや、見にゃんといて。サヌールにて。お供えを物色中。見んにゃ。
ようやっと、もうじき終わりそうなバリ旅行記の過去記事一覧は、コチラです。

乾燥地帯なので唐辛子が名産品。この3倍ほど出荷していた。バニュウェダンにて。
乾燥地帯なので唐辛子畑が多いのだ。ムンジャンガンにて。

※ 質問を頂戴しておりましたので、(ささやかな)お役立ち。
ベモやタクシーにチップの心配はない。お釣り分を勝手に、チップと判断しやがるから(笑)
一人で乗った時、RP10000のタクシー代にRP50000札で払ったら、ツリを返さない。
サスガに、「小銭を作ったるから返さんかい、わりゃ(`Д´メ)」を、上品に申し出たら
シブシブお釣りをくれたが、Rp35000。自分で勝手に、チップ額を判断したようだ。
でも、RP5000のチップは妥当とお淑やかに降車した。(腹が立ったので払いたくなかったが。)
バリなら、悪質ドライバー注意と旅の掲示板に書いたかも(笑)
適正価格は、タクシーだと10%か端数。ベモは現地の方よりも高い運賃(30分程度でRp10000)。
その程度は、言葉が通じない手間賃、と割り切る「ようにして」います。
が、取り敢えず、ベモの運転手に金額を聞かないこと(笑)
同乗者やホテルスタッフに聞いた金額を出せば、四の五の言いません、経験上。
チャーターでもしない限り、料金交渉は考えない方が無難です。(チャーターの経験はない。)
繰り返しますが、乗り物の代金は、くれぐれも大きなお金(お札)で支払わないよう。
お釣り分はチップ。ボッタクリの悪意ではなく、それが「観光客」への商習慣なのですから。
丁子収穫のお手伝い中、撮って撮ってとせがまれる。スンビランにて。
グローブ収穫のお手伝い中、カメラを向けたら大喜び。スンビランにて。
上記記載はあくまで私見ですので、
実際とは異なる部分があればお許しください。

[ 2013/11/25 ]   情景・バリ | TB(0) | CM(8)

バリに行かずにはいられない②

ベモ道沿いに、いつも店だししていたDVD屋台。結構、若いコがタムロしてたなぁ。
いつもここに店だししてたDVD屋
ラダちゃんチの近くまで来ると、妹ちゃんはバイクを停めて
「お客さ~ん!日本人のお客さんだよ~~!!」と大声で呼ばわった。
ラダちゃんは、道端にあるDVD屋台で遊んでいたのだ。
そう。今回、解ったのは、彼女の名前がアダではなく、ラダ、だということ。
フルネームは、とてもじゃないが憶える以前に、聞き取れません(笑)
まぁ、それはお互い様ってことで。
花も恥じらうお年頃になったラダちゃんは大人びて、それでも闊達なのは変わらない。
お家に帰るやいなや、私達をほったらかしてケータイで電話ばかり、
お邪魔だったかと不安になったが、ご家族みんなを呼び戻してくれたのだ。
お母さんはご近所にいたらしく、慌ただしく帰ってくるし、
お父さんは棟上げのお祝いだったようなのに、正装姿で帰ってくるし、
そして、英語が唯一喋れる人材として、仕事中のお兄ちゃんまで呼び戻したらしい(笑)
ラダちゃんは電話で何か駄々をこねてる様子だったが、ダイジョーブか、兄ちゃん。
制服のままだったけど、早引けしてきたのかな?中休みかな?
彼はノーバスガワナのスタッフで、見るからに賢そうで穏やかな青年だった。

お父さんがなぜか、いない!お兄ちゃん、彼女、ラダちゃん、お母さん^-^
お兄ちゃん、彼女、ラダちゃん、イブ
ラダちゃんは7月生まれ。
市場近くのお宅でも見かけたけれど、この辺りの習慣なのか、
軒先に、「Happy Birthday」と横幕がかけてある。
1ヶ月くらいは、そうやって出しておくのだそうだ。
お母さんは私のインドネシア語にいたく感心してくれ、なぜかお父さんに自慢してくれた(笑)
私は、この日のために「オウム・スワスティアストゥ」の発音と所作を習っていた。
バリ語の最上級挨拶。神々が平安と幸福をお与え下さいますよう、という意味。
いきなりやって来て図々しく上がり込む私を歓迎してくれる一家に、せめて、
精一杯の感謝と礼を尽くしたかった、お母さんは、そのことを解ってくれたのだ。

立派なもんだよぉ!(自分ちの子のように自慢してみるW)
どぉです!立派なもんでしょう?^0^
ラダちゃんは高校で、日本語の勉強を始めたという。
教科書はわら半紙に刷った副教材程度のようで、イラストもなく、
ローマ字で単語が連なっていた。(落書きがいっぱいしてあった笑)
私の指さし会話集を見せながら発音していると、けらけら笑いながら繰り返す。
バリ舞踊を見せて、とお願いすると、照れてなかなか立ち上がらない。
こういうとこ、日本のお年頃の女の子たちと同じ反応だ。
それでも、お母さんに促され、サロンを引っ張り出して来た。(必ず、サロンを纏うのか!)
いざポージングをすると、その時だけ、お母さんの目は厳しく、指の形、肘の位置を直す。
何とも見事に、庭で一指し舞ってくれたが、一緒に踊れと言う。
かった~~い股関節を精一杯広げ、小さな目を見開きキョトキョト動かしてみせると、
みんな大笑いだ。
いつの間にやら、お兄ちゃんの彼女も増え、早、日暮れ時。
ラダちゃんとお兄ちゃんの彼女とで、バイクでミンピまで送ってくれた。
前と同じように一生懸命インドネシア語で、後の私に語りかけてくれる。
日本語を勉強する(集中はしてない様子だけどw)ラダちゃん、
いずれミンピで働けるといいなぁ。
旅も終わり、私の指さし会話集は、ラダちゃんへのもう一つのプレゼントとした。

ミンピリゾート横の入り江から漕ぎ出す漁師さん達。
ミンピリゾート横の入り江より漕ぎ出す漁師。
この一家に囲まれていると、バリマジックを信じてしまう。
ラダちゃんやウバチャラのお宅、そして、「愛國の花」を歌ってくれたお父さん
この人達の衒いのないホスピタリティたら、どうだろう?
バリに行きたい、バリに行かなくてはいけない、この人たちに会いに行かなくては。
そんな魔法が、バリには満ちている。
世界最強の観光客誘致作戦である(笑)

このご家族訪問の発端記事が、コチラ。
その後の訪問記が、コチラ。コチラ。
終わりそうで終わらないバリ旅行記の過去記事一覧は、コチラです。
[ 2013/11/08 ]   情景・バリ | TB(0) | CM(6)

バリに行かずにはいられない①

枝払いをするイブ。なぜかいつも女性がしてるんだよなぁ・・・。
枝払いをするイブ。なぜか女の人がよくやってるんだよなー。
さて、お友達に会いに行かなくちゃ、その為に錆び付いた脳みそを軋らせながら、
私は「初歩インドネシア語」を勉強したのである。
手製のインドネシア語辞書と指さし会話本を手にして最初に訪問したのは、
ウバチャラがあったお宅の方。
一本道だから、すぐ解るやぁ~と思って歩き出したら、あれ?あれれ?
のどかな道筋が、のどかなりに変化している!
新しい大きなお家が増えたり、建て代わっていたり、空き地(畑)が減ってしまった。
こんなだっけ、どんなだっけ、どこのお家だったろう、う~~ん・・・・・・。
幸い、さしずめ棟上げのお祝いか、建築中の家に大勢の人が集まっている。
前回と同じ方法、渡すつもりで持ってきた写真を取り出し、この人達のお家はドコ!?と、
聞いて回る、と、その中の1人が、もっとあっちだよと教えてくれる。
記憶よりまだ遠かったのだ、と、歩き出すと、乗せてやるとバイクを指さす。
躊躇(3人乗りが恐い)、遠慮すると、折り返してツレも連れてってやる、と言う。
何て、親切なんだ!
バイクで送ってくれたお兄さん。後光で顔が白くなっちゃった。
ものの5分とは言え2往復もさせて、ガソリン代でもと渡そうとしても固辞する。
「てりまかし、ばにゃっ」を繰り返すのが精一杯だ。
たくさんたくさん、本当に有難う。

一家で記念撮影!ちびっ子達、大きくなったなぁ。
左からイブ、バパッ、妹ちゃん、弟嫁さんとベビー、ご主人、ウバチャラ赤ちゃん、ご主人の奥さん。

記念撮影!ちびっこたち、大きくなったなぁ。
さて、ウバチャラ宅では、なんと門前に小さなワルンを建てていた。
すらまぱぎ~と、訪うと、赤ちゃんを連れていた若いお母さんが、私の顔を見るや、
「日本人が来た~」と、大喜びしてくれた。
おじいさん、おばあさん、ご主人、お嫁さんと妹さん達、チビッコ達、みんな元気元気。
うれしいなぁ、こんなに喜んでくれて。
お商売モノのジュースも出してくれて、しばしバレでとりとめのない会話をする。
以前は、よく分からなかった家族関係が、私のチョー拙いインドネシア語で、
何となく解ってきた。
アダちゃんのママが、ここんちの娘さんで、ご主人と姉弟、お嫁さんと弟嫁さん、
そしてこの中学生くらいの女の子が、妹。え!?妹!?
え!?おばあちゃんの娘・・・?? う~~~ん、ちょっと自信なくなる(笑)
何のお話ししたか、忘れちゃった。
バレに座り込んで、日本語バリ語、インドネシア語で、四方山話の機微はきっと、
どこも変わらないモンなんだろう。(て、コトにしとく。)
今からアダちゃんチに行く、と言うと、妹ちゃんとご主人がバイクで送ってくれた。
今回は、ホテルスタッフにもこうやって、乗せてもらうことが多くて、
ほっこり嬉しいことが多かった。

下記リンク(訪問記がコチラ部分)の坊主頭のチビッコがこのお嬢、ウバチャラの主役赤ちゃんだったの。
このお嬢が、ウバチャラの赤ちゃんだったのよぉ。
このご家族訪問の発端記事が、コチラ。
その後の訪問記が、コチラ。コチラ。
終わりそうで終わらないバリ旅行記の過去記事一覧は、コチラです。
[ 2013/11/04 ]   情景・バリ | TB(0) | CM(12)

バニュウェダンの船着き場ワルンと、くよくよすることについて。

ミンピリゾート隣ににある船着き場から見たミンピリゾートのレストラン。
ミンピ隣にある船着き場から、レストランを見る。
さて、相変わらず、変化がないのはレストランがないこと、である。
一昨年、ムンジャンガン島に渡る船着き場でワルンを見付けた私は、一度、食べてみよう、
そう思っていた。
船着き場のワルン このワルンのことね。
何せミンピに5泊である。食べる物の範囲が狭い私、絶対に飽きるって!
近くのホテルに行ったところで、所詮はホテルのレストラン、
味覚(と、メニュー構成)のバリエーションにあまり期待は出来ない。
お昼だけでもワルンで食べられたら、目先が変わっていいじゃない?お財布的にも(笑)

船着き場ワルンの向かいにあるお寺。
ワルン向かいにあるお寺。
相変わらず未舗装の道を、ノーヴァスガワナホテル方向に歩く。
ノーバスガワナの看板を横目に、海に向かって小道をとっとこ下ってお寺の向かい。
初めて見付けたときは夕方だったので閑散と客の1人もいなかったが、
今は昼前、ムンジャンガンツアーの車がいっぱいだ。
そのワルンにも、多分ムンジャンガンに渡った観光客を待っているのだろう、
運転手やガイドがワサワサしていて、いかにも観光客な私達は浮きまくり^^;;
そのせいだろうか、うら若きウェイトレスさんたちは、どの席につこうか迷う私たちに
案内どころか目もくれず、その場に存在しない物のように無視をした・・・。
チラリと上目遣いで私をみやる男達には、お愛想の一つもしてやっているというのに。

仔猫ちゃん、発見。バニュウェダンのとあるモスクにて。
仔猫ちゃん、発見。
男性の場合は、どうなんだろう?
私が1人でふらりと店に入ると、たまぁに、そんな風に扱われることがある。
お店だろうと民家だろうと目が合えば、にこりと挨拶し、
お茶を飲んでいけ(商売の場合もある笑)と言われることもあるバリにおいて、だ。
「ここは、お前が来る所ではない」

猫じゃなく、自分たちを撮れ、と集まってきた子供たち(笑)
猫ではなく、自分たちを撮れ、という子供たち(笑)
無言なのに、怒鳴りつけられたみたいだ。
席にはついてみたものの、注文も取りに来ないし、すぐ立ち上がる。
立ち上がり際、席の間を慌ただしく動き回っていた年配の女性が、
申し訳なさそうに、目で肯いてくれた。
どこにでも何にでも厚かましく伸ばす手を、ぴしゃりとはたかれた、
そんな情けなさの唯一の救いだった。

撮影後、抱っこする?と連れてきてくれた、猫のように美しい少女。メーワクにゃ日本人にゃ。
でも、その後、猫をもっと撮りたい?と、連れてきてくれた。猫のように美しい少女。メーワクにゃ日本人にゃ。
延々と終わらないバリ旅行記、過去記事一覧は、コチラです。
[ 2013/08/22 ]   情景・バリ | TB(0) | CM(4)

愛國の花、時にBunga Sakura

高度感が飛んだ写真だけど、山の端より。海岸線は一面の椰子の木。
山の端より。海岸線に向かって広がるのは、一面のヤシの木。
私達はバリアガの村、スンビラン(Sembilan)を捜していた。
南部リゾート地サヌールからキンタマーニを経由し、ロビナへと北上する途上だ。
細い山道を行きつ戻りつ、右に左にハンドルを切るから、道に迷ったことは知れる。
私は車酔いでバリアガスンビランも海を見晴らす素晴らしい(らしい)眺望も、
すっかりどうでもよくなっている。

お父さんに言われて、椰子の実ジュースを作ってくれる大工?のおじさん。
お父さんに言われてヤシの実を割ってくれている、大工?のおじさん。
途中、小学校(多分)を頂点に、数軒の家々が点在する小さな小さな集落で車を降りた。
(ガイド氏は「ここがスンビラン」と大うそをこきやがった。)
普段なら、私は学校や小さな店舗、人の集まってそうな場所を目指すのに
この時、ふと昔ながらの竹網の家壁に惹かれ、一軒の家に足を踏み入れてしまった。
いくら何でもいつだって、住人が誘わない、人影のない敷地に入り込んだりはしない。
なのに、まるで招かれた客人のように堂々と庭を歩く自分を、不可思議に思う自分がいる。
ほどなく子供たちがお母さんと一緒にわらわらと出て来て、咎められることもなく、
どこから来たの、どこにいるの、どこに行くの。(まるで人類の、永遠の三命題ではないか。)

演奏してくれるお父さん。このバレはオーディオルームのように機材が揃っていた
演奏してくれるお父さん。このバレはオーディオルームでもあったのだ。
お父さんは仕事の手を止め、敷地の案内をしてくれた後、
バレ(反屋外の東屋)に招き上げてくれ、椰子の実ジュースを振る舞ってくれた。
私が目を止めた竹の木琴演奏まで披露してくれて、ふと思い立ったように、
子供に電子ピアノ(ヤマハ製!)を持ってこさせて、何やら一節、歌ってくれている。
何だろう?私達の顔を見るので、何か日本の歌らしいが、何だろう?
思い出しながらキーを探る彼は焦れて、伴奏はやめ記憶にあるまま、声を張り上げた。
「しろきふじ みくににつくすおみならは やまざくら」
聞いたことはないけれど、聞き取れた歌詞は何となく愛国調だ。
日本の古い歌、軍歌? ピンときた様子の私に、彼は満足そうに笑顔で肯く。
1942年。おじいさんが日本人(兵?)と働いた時(徴用?)、習い覚えたそうだ。
そして終戦後、村に帰った後々も歌い続け、子守歌として聞いた彼も覚えたという。

お台所。お母さんはお芋を茹でていた。長男坊メッシ、つまみ食いを狙う。
お台所。お母さんはお芋を茹でていた。
アジアを旅する時、無視してはいけない感情が波を打つ。
戦後民主教育のただ中で育った私達は、軍歌は知らない、歌ってはならない物だった。
彼にそのニュアンスが伝わったかどうか、ちょっと不審顔のまま、
おじいさんはこの歌をよく歌っていた、日本人の話もよくしていた、と言う。
いつか日本人に会ったら、この歌を聞かせたいとも。
だから彼もいつか日本人に会えば、歌い聞かせよう、そう思い続けていたという。
私は、言葉を見付けられない。
どうしても目を背けてしまう私の中の捻れと、日本人を懐かしむおじいさんの情。
私は、彼に伝えるべき言葉を、どうしても見付けられない。
聞き取れた歌詞の意味を、インドネシア語に置き換えて説明するだけだ。
日本に帰ったら、その歌を調べるね、そして意味も調べて、教えに来るね。
それが精一杯の私に、彼は日本人に会えて良かった、今日は良い日だったと言ってくれる。
郵便が届かないこの村に、また来られるだろうか。でも、来なくてはならないのだ、
私の中の捻じれを言葉で正して、それを彼に伝えるべく。
2012年7月。
こんな風に、私はバリを旅していた。

※ 軍歌ではなく、「愛国の花」という歌謡曲…、
   といっても国威発揚の歌謡曲でした。お嫌じゃなければ、ぜひに。
  「真白き富士の気高さを 心の強い盾として
   御国につくすおみな(女)らは 輝く御代の山桜
   地に咲き匂う国の花」
  「ブンガ・サクラ(桜の花)」として、インドネシア語で作詞するほど、
  スハルト元大統領の好きな歌だったそうだ。
  インドネシア人情緒に訴える歌詞、メロディなんだろうか?

昔々からある祠。敷地内にあるから祀っているそうだ。後ろの石垣はスレート石。
            産地なのか、この集落周辺でよく見た。

        昔々からある祠。敷地内にあるので、祀っているそうだ。この辺りは、スレート石が採れる。




[ 2012/08/05 ]   情景・バリ | TB(0) | CM(6)

ただいまです。

ロビナの朝焼け。
ロビナの朝焼け。
ただ今です。

私が留守の間にも、日記にお目通しいただき、本当に有難うございます。
コメント、拍手もたくさん頂いて嬉しい! 心よりm(_ _)m深謝です。
お返事等々、近々お伺いしますが、先ずはお礼とご挨拶まで。
とっくに帰国はしていたのですが、自分用の大きな土産「お腹の夏風邪」で
数年ぶりの高熱と下痢( ̄∇ ̄;)、へたりきっておりました。
バリ土産、ではないそうですが、誰も信じてくれません。

そして、船は行く。
そして、船は行く。
2012年7月。
2009年時の旅行と同じくバリは朔、Tilm(新月)のウパチャラの頃合いだった。
暮れた空に浮かぶ月は夜毎に細り、星の燦めきを数多まとって、贅美を尽くした姫だ。
乾期の澄み渡った空に、砕いた宝石の如く散らばる星々を見るために、
そのためにこの地を訪れたくなるほど、豪奢な闇夜なのだ。
昼間の容赦ない陽射しとはうって変わり、魔が棲む闇にはいつも涼やかな風が渡る。

それに引き替え大阪、どないよ。
ホーライの巨大せいろに、大阪全部、蒸されてんとちゃう?
なんで、赤道直近のバリより蒸し暑いねん、バリに避暑に戻りたなるやん。
そして、星々の瞬きも見えない大阪の暮れない夜、従えるべき星々もなく、
いつまでも薄明るい夜空に、ぽつりと浮かぶ月はあまりに孤独だ。
暑さに着いていけないまま、心のどこかをすとんと落とした私のように。

ぼやきながら、いきなりバリ日記開始(できるかな)。
きっとまた、あちこち迷走しながら更新することでしょうが、
う~~~ん、屋久島のお食事処とか温泉とか、交えたいんだけど、な。
変わらぬ長文迷走に、どうぞよろしくお付き合い下さいませ。
お読み下さる皆様方に、きっと、御利益がある           と、いいな。
明るくなって、ドッキリ。カミサマネコ。 
急に明るくなって、ドッキリ。ほっとけよ、とカミサマネコ。







[ 2012/08/03 ]   情景・バリ | TB(0) | CM(8)







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