2009 09123456789101112131415161718192021222324252627282930312009 11






スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

こんぱ亭 橋爪庵/とことん山中温泉

総湯前の源泉。この湯が一番、よかった(笑)
頃は、錦秋。北から順次、冴え冴えとした友禅の如き景色が届く。
去年のことだけど、私も小走りの足を止めて、頭上を眺めたくなったのだ。
手っ取り早く探せる「湯快リゾート」の、山中温泉ホテル大黒せせらぎ亭」に予約した。
ここまで行くなら、せめて金沢くらいには、いかんいかん。
車で行くと寄りたい所だらけ、また二泊は必要!なんてことになる。
色気を出さないためにも「湯快リゾート」のバスで行くことにした。
だって、JR新大阪の駅前~山中温泉が往復!で3000円、使ってみない手はなかろ。

9時出発のバスは、お昼12時半頃、同グループの「山中グランドホテル」に到着。
ここで1時間の昼食休憩後、ホテル大黒まで行くらしいが、
どうせなら、温泉街をぶらついて名物なりと味わいたい。

山中温泉には、手打ちを謳う蕎麦屋が三軒ある。
食べ比べと行きたい所、夕食に端から期待は薄く、お昼くらいは美味しい物を頂きたい。
釜飯が名物の「こんぱ亭 橋爪庵」は、「ゆげ街道」に位置し、いかにも観光客向けだ。
メニューも、外すとむちゃ悔しい2000円台がずらり。
日本海に近いお土地柄、貝柱や甘エビなんて海鮮釜飯もある中で、注文したのは「牛釜飯」。
まずは、お抹茶と加賀藩の紋所「梅鉢」を象った干菓子が出て来る。
釜飯は時間がかかるから待っちょれよ、ってことか、食べ終わってしばししばし略。
こんぱ亭橋爪庵外観。牛釜飯。残ったワサビはどうするの?という疑問は、口にしちゃいけないんだと思う。

お嬢さん、お待ちどうね~。」仲居さんがちゃきちゃきと、大きなお盆を運んで来た。
この方、妙齢(笑)ならでは、お茶屋系料亭の名物仲居の粋っぽさだ。
これまた、もう得難い創業時からの分厚い釜に入っているご飯は、優に1.8人分。
山芋たんざく、ワラビの酢和え、生湯葉の煮含め、土地の山菜を活かした小鉢もある。
釜飯の蓋を取ると、良い案配に溶き卵がご飯に膜を作っている。
そして、これこれ、てんこ盛りの生ワサビ!これを、ご飯や具に合わせながら頂くのだ。
釜飯の具材の香ばしさに、ワサビの香気、う~ん!鼻も舌も、五感で美味い。
釜飯にワサビは、土地の方には定番品とか。加賀の治部煮の系譜かなぁ。
ご飯も色目は淡いが塩気十分だったので、白醤油かも知れない。
このたっぷりご飯は、食べ残せばおにぎりにしてくれる。(って、食べきれないし。)
だからシェアをせずとも、女性だって一人前を注文できる。
しまった、店の策略か。

山中温泉旅行記(国内・温泉旅行)記事一覧は、コチラです。
※ 旅行時期は、2008年10月下旬。紅葉には、早過ぎたT.T

※ 10月30日追記です。
   禁止ワードの設定により、書き込みができないとのご指摘を受けました。
   m(__)m せっかく、お書き込み下さったのに、申し訳ありませんでした。
   元に戻したましたが、不勉強につき、また認証番号の入力にご協力下さいますよう、
   お願い申しあげます。










スポンサーサイト

怠惰にお昼/Semoga mimpi indah

耕耘機で田起こし。
           クボエダンから見えた田んぼは、田おこしの最中。

クボエダン寺院~プナタランサシ寺院、ペジェン村のお散歩と暑さボケしたので、
お昼ご飯は、パディプラダのルームサービスにした。
ツレは、パダン料理だ、ナシチャンプル(ご飯とおかず数種のワンプレート盛り)だ、
今度こそ、バリ飯三昧だと盛り上がっていた割に
前夜のソトアヤム(チキンスープ)がお気に召したせいか、あっさり同意。
私はヒヨって、ナポリタン。どこで憶えた料理なんだか(笑)
観光客レストランには、何でも屋のように大抵、パスタ、サンドイッチがあるけれど、
初渡バリ10数年前、ホテルで食べたパスタの不味さったら、なかった。
食べても食べても減らない、油和えのゴム……(笑)
ウブドにも外国人経営のレストランが幾つも出来て、味覚は格段に洗練された。

  本日のおビールは、バリハイ。パルメザンの振り方もコジャレてるでしょう。
ん~…と、Rp50000前後?に、税サ20%プラスだったか?
洋食は、高め。そして、麺料理の量は少なめ。
残念なことに、か、安心したことに、か、ナポリタンはナポリタンにあらず。
ミートソースで和えたパスタが、くるんとお皿に盛りつけられている。
タバスコも頼んでいたら、小皿にたんまり。いくら私でも、こんなには(笑)
ゴムの記憶を忘却の彼方に蹴飛ばし、想像を遙かに超える美味しさ。
パディプラダがイケルのか、ゴムパスタが絶滅したのか。
日本の何でも食堂やファミリー何とかも、奮起して欲しいくらいの味だった。

パディプラダでは、ガムランやお料理の観光客用カルチャー教室がある。
この日は台湾人の団体が大勢でにぎやかしく、皆、狭い敷地をウロウロする。
ビラも覗いてみたいけど、バレに私がいたもので出来ないのだ。
慌てて目をそらす男性が気の毒で、「ふろむ・たいわん?(まんま)」と声をかけたら、
「YES!」と、機嫌良く答え、何故かカメラを向けられた。
台湾人のブログに、昼ビールでご機嫌さんの猫又写真が載ってるかも(笑)

バリ旅行の過去日記一覧は、コチラです。


ペジェンの月/人はどこから来てどこに行くのか

プラナタンサシ寺院・割れ門の前にある星形の池。珍しい造形。
クボエダンからJlラヤ・ペジェンをてくてくと歩いて…、う~ん、10分足らず?
今度は、紀元前の銅鼓を「ペジェンの月」として祀るプナタラン・サセ寺院を目指す。
こちらは芝生の植わった境内で、その広さに思わずお布施がRp20000(二人)。
記帳の数も、クボエダンより遙かに多かった。
ペジェンの月は高々とバレに祀られてるけど、オープンエア。
まんま正面、眺めるのに格好の場所に、野良犬さんがフンチしちゃうしーー;
東南アジア地域の青銅器時代の足がかりの一つってくらいの遺物よ、これ(笑)
ペジェンの月とバレ。ペジェンの月。
けれど想像以上に大きく、まさしく日本の銅鏡の相似形と私には見えた。
(実際は160cm×186cm×胴長200cm。胴の部分が見えず、銅鑼だと思い込んでいた。)
境内は折しも、お祭りの準備真っ最中。
ガルーダのお祭り。
バリ名物「勝手にガイド」おじさんによると、ガルーダのお祭りということだった。
(つきまとってチップを要求する。無視に限るが、それもまた難しい。払わないけどね。)

バリに、祠やお祀りすべき場所は数え切れないほどあるけれど、
このペジェンの村では、発掘した石器か、何かの遺物類を祀っているらしい。
想像した形とは違っていたのか、村の散策中に捜したけれど見付からなかった。
バリには、クボイワという巨人の伝説(民話)が転がっている。
グヌンカゥイやイエプルにもクボイワの名が残り、
バリ最大の湖バトゥールはクボイワが掘って、その土がバトゥール山という話もあった。
どの話でも、クボイワは民に畏怖されながらも利用され、そして駆逐されてしまう。
それは、長脛彦や素戔嗚の神話に見え隠れしているように、
先住民蹂躙の歴史の正当化・隠蔽のような気がしてならない。
バリアガ(バリの先住民と言われている)と、熊襲や出雲の民を思ってみる。
彼ら、住む場所を追われし者達が残した話は、皆、哀れなほど実直だ。
整然と塀で囲われ、木々が影を落とす家並みの道を歩きながら、
クボエダンのすぐ近くにあった考古学博物館に行かなかったことを、激しく後悔した。

帰りは、ペジェンの市場からベモ(乗り合いバス)に乗ったが、ブドゥルで乗り換え。
この辻は、昔、ベモでティルタエンプルに行った時にも、乗り換えた場所だ!
ペジェンのベモの運転手は、乗客がいるのに「すぺしゃる(チャーター)」と言い出すし、
ウブド行きのベモの運転手は、「横取りするな」みたいに、言い合いするし。
ごめんね、言葉も路線も解らない田舎者が乗りたがるから、もめるんだね。
良くあることなのか、乗客が文句も言わず待って下さるのが申し訳ない。
ペジェン~ブドゥル~ウブド、約10km足らず、二人でRp30000だったか。
ホテルの冷房付きチャーター車(Rp20000)の方が、安かった……。
ベモに乗るのも観光ってことで、いっかぁああ(T▽T)
因みにガイドブックに、地元の人が払う金額を見て、なんぞ書いてあるが、
きれいに手で包んで払う方が多いので、私はいつも解らない。
帰りついたのは昼遅く、ウブドマーケットは、観光客用のお土産屋に総変わり。
うずたかく積まれた商品と早朝以上の人混みで、方向感覚を失い目眩がしそうだった。

                    おまけ。
             文化の伝搬を物語る歴史的遺物に向かって、落とし物した犬。
          歴史的宗教的遺物の前で、しちゃうコ。


バリ旅行の過去日記一覧は、コチラです。


踊るビマ像/ 人はどこから来てどこに行くのか

クボエダンの割れ門
バリのお寺はもういいよ、と、私は行くたびに言う。
仏像や庭を鑑賞するという趣はなく、もっと根元的に「参拝」なのだ。
今回、ツレは遺跡趣味で、クボエダン寺院とプナタランサシ寺院に行きたいらしい。
ウブド周辺に残るゴアガジャやイエプル、グヌンカゥイ一連の、
ジャワ文明以前の遺跡群の一つと思い、一緒に行くことにした。(上記遺跡は、訪問済み)

公共交通機関が不便なウブド、足はいずれも白タクだ。
ベモ(小型バス)で帰ることにして、クボエダンまではホテルの車を頼むと、高い!
ボーイさんは値引き交渉のため、マネージャーと私達の間をあたふたさせられ、
どうやら全行程と勘違いしていたらしく、Rp20000(多分)で落着した。

クボエダン寺院は交通量の多いJLラヤペジェン沿い、独立戦争のモニュメントを、
ちょっと入ったヒンドゥーの小さなお寺である。
スレンダン(腰帯)を借りて、お布施は二人でRp10000払ったか。
観光客も参拝者もいない、ぐるりと見渡せる小さな境内に
ヒンドゥーの聖典マハーバーラタの一場面、「死の舞踏」を「踊るビマ」像はある。
   踊るビマ像
★根を4つ持ち、黒魔術の使い手と言われる巨人の石像(高さ3.6m)だ。
お寺に祀られるまで、風雨に晒されていたんだろう、目鼻も磨滅して風貌も解らない。
禍々しさは微塵も感じさせず、存在理由も語らず、大木を傘にして静かに佇むのみだ。
境内の数カ所に集められた石の諸々も、一体、何だったんだろう。
髑髏のようだったり、石棺や建材の一部のようだったり、大きさも形態もまちまちで、
この周辺から出土した物なのか、元々、お寺にあった物なのか、
いつの時代の物なのか、今でも信仰の対象なのか何なのか、
始末に困ったかのように、バレの中で、ただ転がっているようにも見える。
ヒンドゥー教徒達がバリに移住してくる前の、先住民達の置き土産なんだろうか。
それは今でも、独特の風習で暮らしている、バリアガと言われている人達なんだろうか。
薄暗いお寺の蔵には、ぴかぴかに手入れも行き届いたガムランが、整然と並んでいた。

んで、大根は4つだけど蕪はどうなのか、とか興味津々こほこほこほ、
「踊るビマ」も、格子柄サロン(陰陽/善悪の象徴)を巻いてもらってるのね。
だから、ホントの所は分かんなかった。

共通事項:バリのお寺は、正装でのみ許された場所(バリ人は皆、正装)。
観光客(異教徒)はお寺の入り口でサロンやスレンダンを借り、拝借料込みでお布施する。
(異教徒立入禁止のお寺も、サロン無しでも入れるお寺もある。)
      不思議な境内で演じられるバロンダンスは、幻想的だろう。

バリ旅行の過去日記一覧は、コチラです。



Selamt Pagi/ Semoga mimpi indah

草葺きの小屋の前に、祠があるのだ。背後の木立はモンキーフォレスト。
レストランの2階からの眺めもいいが、パディプラダの朝はバレ(屋外型居間)。
チャナン(お供え)を頭上に乗せた女性が、あぜ道を通って行く。
まるで、稲の波間を漕いでいるように見える。
田んぼの真ん中に、祠があるのだ。
ホテルの庭からその祠まで、幅広くまっすぐに草が刈られ、神様の通り道のようだ。
ホテルと猿森の間の田んぼには、一軒だけ、ぽつんと家がある。
7年前もそうだった。
バリの稲作は、大勢の小作人で成り立っている。
目の前の田んぼの持ち主が誰かは知らないけれど、お家は小作人さんのかもしれない。

丁寧に祈っていた女性が、立ち上がると、大声で誰かに声をかけている。
私からは見えない、農作業中の誰かを見つけたんだろう。
朝食を終える頃には、田んぼの草刈がもう始まって、
ひょいひょいと頭が稲の間からのぞき、刈った草が放り投げられる。
バレでぼんやりしている人間なんかに、目もくれなかったが気配を感じたのだろう。
スラマッパギィと声をかけると、真っ直ぐにこちらを見つめて、にっこり笑った。

その翌朝は、鳥追いだった。
バリの小さな雀が幾羽も、色づきかけた稲穂に舞い降りる。
田んぼの中を、大きな声で追い払いながら、歩きまわる。
その瞬間、雀は舞い上がるのだが、すぐに近くの稲穂に降りてくる。
際限無い、無意味にも感じられる作業だ。
だって、真昼の田んぼは無人になって雀天下の好き放題、入れ食いなんだもん。

朝食をとりながら、また、ビールを飲みながら、私は営みの風景に見入っている。
刺さった棘の在処を確かめるように、時折、心のどこかを撫でながら。

アメリカンスタイル。これでもオムレツなのだ~(笑)
パディプラダの朝食は、インドネシアン・スタイルとアメリカン・スタイル。
両方とも絞りたてのフルーツジュースが付く。
インドネシアンは、ミー・ゴレン(焼きそば)とナシ・ゴレン(焼き飯)のチョイス。
ニンニクも入らず、クセも量も軽めだが、朝の私にはどうも油が重い。
洋風は、薄いトースト(バリの食パンはサンドイッチ用の薄さ)に卵料理with
牛肉っぽい不思議なハム炒め(orウィンナー、ベーコン)
ジュースは数種類から選べる。初日はスイカ、2日目バナナ、3日目マンゴー!
どれを選んでも、卵とこればっかりは外れない!


余談ですが、小作人制度についての私見。
バリにおいては、地主と農業請負人(小作人)との分け前は、半々らしい。
バリの現状については言える立場にないが、農業を最も不可欠な産業と捉えれば、
私は、この制度自体は反対じゃない。
一握りの人間に、土地と労働、後継者の育成を負わせっぱなし、
使命感に頼り切って済むほど、安易な産業ではないはずなのだ。
どこの国よりも優れた日本の農産物を、未来永劫、確保するためには、
もう、地主=農作業者の図式には頼ってはいられない。
この不景気こそが大きなターニングポイントであれと、農作業の一つもしたことがない、
消費するばっかりの無責任な無能者は、考えてみたりする。

バリ旅行の過去日記一覧は、コチラです。




[ 2009/10/07 ]   情景・バリ | TB(0) | CM(26)







上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。